この世に生まれて…
初めの第一声は「オギャー」と泣く魂の叫びです。
また、新しい人生の幕開け
輪廻転生 新しいドラマが始まる
かつて何を想い 何を求め 悔い
私達は死んでいったのだろうか?
千座万別1つとして同じストーリー
はありません。
どちらの道が正しいのだろうか?
投資詐欺に遭わない選択をしていたなら私は幸せだったのだろうか?
詐欺にあったからこそ出会えた人や優しくなれたことは何を意味している?
ある人は、あの日・あの時間にあの場所を選ばなかったら事故に遭わずに
生きながら得たのだろうか?
あの言葉を間違えなければ、恨み辛みを抱えて誰かから殺されることもなかったのかと…
答えは誰れも知るよしもない。
このブログは、こうした色んな人生をこの世に残していった叫びと共に「誰かの生きる道 生きた証」を
少しでも知るということで、心を癒やし自分をどうか救ってほしいと願って作っています。
本当の苦しみって何?
本当の悲しみや苦しみは、誰にも言えないことではないだろうか?
吐き出して言えるなら、いつか笑いに変えられるなら誰も苦しんではいない
いつか報われるその日がくるかはわからないから、もう耐えられなくなる。
未来が見えないから希望がない。気力も無くなっていく…
人は何も言わないだけで、色んな人生を抱えて生きています。
明るく見えても、閉ざされた心の壁があります。その闇は深く深く真実に鍵を掛けて海に沈んでいく沈没船のように、永遠に地上の光を浴びることのないもの…
誰にも言えないとは、
もしも家族が麻薬をしていたら、いじめに遭っていたなら何か悪いことをしていたら人事ではありません。
自分自身であったとしても、組織だとか誰かの関わりの中でそこから抜け出すことは困難になります。
自分自身のことで悩むことと、大切な人のことで悩む2次被害のようなものがあります。警察沙汰や世間体や生きていく上で誰かに助けを求めることさえ出来ないものがあります。
誰かを庇うこと、それを言ったところで解決策がないこと、笑いものになるだけのこととか様々です。
小さい頃から親に虐待を受けていたなら、逃げられない弱い立場や無知な状態で我慢をし続けることにもなります。
仕事の失敗や当て逃げ、見て見ぬ振りをすることなど自分にはどうすることもできないことが、そのことを素直に言うことでお金が絡んだり、立場が悪くなったりと日常では、誰にも言わないことで「無かったことにしたい」と思えることも小さなことから沢山あることでしょう。
自分を守ること、家族を守ることになる傍らで誰かが苦しむことさえあります。世の中には証拠がなければ、その責任の所在が何処に向けられるかは迷宮入りで罪は神のみぞ知るといったところです。
誰かから被害を受けてしまい、どうしようもないことも結局は人は誰かの助け無しでは生きてはいけません。
どうしたら人は強く生きられる?
自分がどうしようもなくなった時に手を差しのばしてくれる人はいますか?
それが、他人であってもこの世に存在しない誰かでも、映画を観て、本を読んで、時に音楽が自分を奮い立たせることもあるのかもしれません。
人は言葉に出すだけで、心は解放されたりもします。
誰かが分かっていてくれるから…
私という存在を知っていてくれるから…
自分だけが苦しいと思ったら、終わってしまいます。
その苦しみを誰かに投げてみませんか?
本来は同じ苦しみをもっている人に聞いてもらえることが一番救われるものでしょうね。
何がわかるの?って思いがあるものだと思います。人が抱えられる問題の大きさもそれぞれで感じ方さえ、その環境や性格によっても違いがあります。
貴方自身が求めなければ、ここから生きる道を歩むことはできません。抱えられてもいいです。導いて支えてくれる人が必要です。
人は独りでは生きられません。誰かに頼りましょう。自分の中だけで押し込めずに本当はどうしたいのかをよく考えてみましょう。
生きている限り、目の前に大きな壁はくるものです。
乗り越えて、乗り越えて人は成長していく、強くなる。何故なら、人は苦労することからしか学べないからです。
その先に何があるのかまだ見ぬうちに諦めるのですか?きっと光りが差します。幸せの価値観が変ります。優しくなれます。
誰かを信じられるようにもなります。待ってる人がいます。次のステージがあります。
終わっていないんです。生きている限り、私はそう思って今を生きています。
誰でも、強く生きていくための決断をする時は必ず来ます。
その選択肢は4つ
①現実を認め、新しい自分として生きていく
②その現実と向き合い戦う
③その環境から逃げる
④病気を患い我を見失っていく
①現実を認め、新しい自分として生きていく
事実を受け入れて生きていく
それは、開き直ってなのか仕方ないからと思うのか諦めるのかは人それぞれの感覚です。
次は間違えないようにできる段階とそうでない段階もある。失恋なら新しい恋に出会えれば報われる日が来るものです。
守るものがあるために、やりたくないことをやる人もいる。ただそれが誰かを傷つけることではなく、社会的にも生きていけるのなら、その道を歩むのかは決断すべき時でもあったりします。
大きな権力や組織など、生きていく上での圧力がそこにあるのなら、とても深刻なことです。
しばらくは時間のかかることもありますが、まずはご飯を食べて、元気を出しましょう。体力が必要です。
しっかり睡眠は取って窓を開けて、太陽の光を浴びて下さい。私達も植物と変りません。暗闇の中では何も成長しません。
人は間違いを起こします。悔い改めるのかは本人次第です。そして、許せるのかも貴方次第です。また、忘れて生きたいと思うこともあるでしょう。人生をもう一度やり直す。ただそれだけが尊いこと…
②その現実と向き合い闘う
無理だと分かっていても、このままではいられない。起こった現実は取り戻すことは出来ません。
そのことで人生が変ってしまったなら、どうしようもない心にかられて、藻掻き苦しむのです。
私は、投資詐欺に遭って「戦う」を選択しました。家族に「もうやめよう!どうせ返ってこないのに裁判してお金使ってどうするの?」と言われています。
お金は返ってこないかもしれない、でも最後まで諦めたくはなかったんです。やるだけのことは全部やりたい。大事な家族のお金だから、戦わないのは、相手が正しいと認めることだと…
それはしたくなかった。裁判はとても長い道のりです。けれど、生きるための望みでもありました。
そして、警察にも行きました。何度も何度も行って、お願いしてやっと被害届が受理されました。簡単に諦めればそれで終わっていました。
副業詐欺にあって、投資詐欺にあって、探偵にお金を取り戻すためとお金をとられ、紹介してくれた弁護士は4ヶ月も経っても訴状も作っていない。
何も調べてもいなかったなんて…
こんな酷いことありますか???
これまで、騙された金額は●千万以上に及び生きる気力さえないようなものです。だからって、母をこのまま牢獄で死なせるわけにはいきません。
貴方も自分が自分であるために選択すべき後悔のない人生を歩んでください。詐欺ではなくとも事件で家族を失って、未だ探し続けている方もいます。
被害にあって、大きなトラウマを抱えて生きながらえている方もいることでしょう。生きていくということは、闘いですね。
本当に辛い毎日です。なんのために生かされるのか問いたくなります。生きることで、その意味が分かるはずだと信じて、人は人生をあがき続けるものだと私は思います。
答えを求めて...
そして、究極の苦しみは我が子の死のように思えます。男女で感覚は違えど、現実を受け入れられることは難しいです。
しかし、その日を境に現実を皮肉なごとくに目の当たりにします。ここにいるはずがいない現実。あたりまえでなくなる現実。
心のリハビリをしながら生きていくことになります。
③その環境から逃げる
時にその場所が、生きづらいこともあるでしょう。一番簡単に今の生活を変えるには、出会う人も周りも職場も全部引っ越して変えてしまうことです。
新しい人生の始まりを自分で作リ出すことも大事だと思います。過去に縛られずに生きることの第1歩だと思えます。
逃げるのは罪ではない。自分や家族を安全な場所に移すということでもあります。とくにいじめは本人の努力ではどうすることもできません。エスカレートする前にそうすべきだと私は思います。
これを逃げるという表現はしたくはありませんが、新しく作り替える・スタートをきると言えることだと思います。
どんなことにも、心機一転、見るもの触れる物全てを新しくすることは傷ついた心にとって大事なことです。
④病気を患い我を見失っていく
自分の支えられる心のキャパを超えた時、人は自ら病気になっていきます。
死ぬというのは、姿・形さえ亡くなってしまいます。しかし、死んだも同然といえる状況は存在します。
その人らしい目の輝きは失われ、まるで廃人です。我を見失い命を絶つのか、命を絶つ気力さえなくなり何も分からなくなっていくのか?
魂がもうその体にない状態だということです。
そうなる前に救える命があることを願って止まない。
まとめ
取り返しのつかないことに、心は晴れることはない。自分自身で差し伸べてくれる、その手にしがみつき這い上がるしか方法はない。
暗く悲しんでいても、明るくいても同じ時間は過ぎていく、自分は生きている価値はあるのだろうか?
何もやる気のでない日々に、子供達の笑い声を聞きながら、もう少し見届けたい。先に逝くのは母に申し訳がないと思いながらも体は気力は何度も何度も現実を受け入れられず、情緒不安定だ…
詐欺に遭ってほとんどのお金を取られて
「命取られた訳じゃないんだから」と拒否った弁護士が言い放った。「生活保護もありますから」と…
その時その場で言うセリフじゃない。まだそんなこと自分のせいで家族にまで惨めな暮らしをやれと言えることかと思えた。
そして、警察までもが、「結論をいいます。受理できません。」と証拠を持って何度も連絡を取ってきたのに面倒くさそうに言われた時に、人として何かが壊れていくような感覚を覚えた。
こんなにお金を取られて貧乏になっても、夢を諦められずに泣いた…
50代近くで若さもない今はよっぽど身に堪える。
無知な私に何ができる?この人かと思える人に助けを求めてみたけど、世の中は冷たいものだった。
目利きも悪かったが、諦めずに調べていくうちにたどりついたメンターとの出会い。くじけそうな私にこう言った。
「貴方にこの言葉を捧げます。神様は乗り越えられない試練はあたえません。」と
人は必ず、助けの必要な時に必然に出会える人がいるものだと…
「稼げばいいだけです」
「大丈夫です。僕がいますから」
初日でお話した時間は8時間くらいに及んだ
こうして、人生の新しいステージが始まった…
生きる望み
もう少し生きてみよう
勇気をだして、守りたいもの・叶えたい夢と本当はもっと生きて見たい景色がいっぱいあるはずだ。
誰かが死のうと、必ず朝がきて心は置き去りのまま時は残酷なまで経っていく
夫が亡くなって2年もの月日はあっという間で、もうすぐ3回忌です。
私達は有名人でない限りはちっぽけな生き物にもみえます。
誰がその死を労ってくれる?
悲しんでくれる?分かってくれる?
ごくごく一部のアリンコのようです。
何も世界は変ることもなく動いている。
空しいけれど、個人で考えたらそんなものです。
自分よりもっと苦しんでいる人は沢山いるんだと、思って今を生きています。
立ち直るのは簡単なことではない
いつか必ず叶うと信じて努力するしかない
生活に余裕があるなら、ゆっくりでもいいでしょう。
結局は私達人間は、人間の手によって不幸にもなるし、幸せにもなるということです。
※貴方の苦しみは貴方だけしかわかりません。逆に私の苦しみは私にだけしかわからない。そんなものに完璧に寄り添えるもはない。だからといって責めることもない。
人が立ち直るには、「家族や仲間」の存在でしかない。
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